川崎市歯科医師会創立100周年に寄せて

公益社団法人川崎市歯科医師会創立100周年に当たって、一言ご挨拶を申し上げます。

時代が令和の御代(みよ)へ変遷した令和元年11月14日に多数の会員、川崎市長をはじめとする行政、関係団体、企業の皆様方が一堂に会し、創立100周年記念の式典並びに祝賀会が厳かに、そして盛大に挙行されました。まずは各方面に心より感謝申し上げる次第であります。

川崎市歯科医師会の創立は、起点を大正8年に求めています。それ以前は大正6年に江南歯科医師会(現鶴見歯科医師会)として設立され、初代会長には橘樹郡川崎町砂子で開業していた原田幸次郎氏が就任しています。その後大正8年(1919年)神奈川県歯科医師会橘樹郡支部会として発足したのを川崎市歯科医師会の起点としています。その後大正13年川崎が市制となり同年川崎市橘樹郡都築郡歯科医師会となりました。その後昭和34年に一般社団法人となり平成25年からは新公益法人法の下、公益社団法人となっています。

次に川崎市の発展を見ていきますと、明治時代末期の近代工業の誕生で、川崎は常に時代の先端を行く成長を遂げてきました。農村部は江戸、東京向けの産品を出荷する近郊農村として発達し、港湾部は京浜工業地帯の一角として港湾施設も整備され、工業都市として発展した一方で、その後工業や交通の公害等の社会問題に直面してきました。1972年に川崎市は政令指定都市となり、川崎区、幸区、中原区、高津区、多摩区の5区を設けました。1982年には宮前区、麻生区が分けられ現在の7区になっています。

日本には「創業100年以上の企業がおよそ3万社存在しているそうです。これは、世界の100年企業総数の約70%にあたり、諸外国からも注目される日本独自の資産であると言われています。近代史における「100年」は、数多くの困難が訪れた激動の時代でもありました。
第一次・第二次世界大戦に代表される数々の戦争、高度経済成長を経て訪れたバブル崩壊とリーマン・ショックなどの金融危機、阪神・淡路大震災や東日本大震災などの大地震や台風などの自然災害等大変困難な100年間であったと思います。

そんな中で川崎市歯科医師会が事業を継続してこられたのも、会員の地域歯科保健、医療を発展向上させようとする情熱と、会員間の「和の精神」によるところが大きいと考えます。それはあたかも大河が絶えることなく滔々(とうとう)と流れ、淀むことなくやがて大海にそそぐ様と似ています。

先達が後進を指導していつの時代にも活躍いただける方が次々と現れるこの好循環こそが川崎市歯科医師会100年の財産であると確信いたします。100年の大計は人心を育てよという言葉が正に当てはまると考える所以であります。

結びに会員並びに各位の皆様の益々のご発展、ご健康を祈念いたしましてご挨拶といたします。

公益社団法人 川崎市歯科医師会 会長 山内 典明 

川崎市歯科医師会創立100周年に寄せて